【中国うろうろ日記⑨】旧満州国の長春で戦争遺産めぐり&溥儀の一生に迫る!

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今日は一日、長春観光!

昨日の夜寝たのが遅かったのもあり、昼まで寝てしまい、午後1時半くらいにようやくホテルを出発…。

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お昼ご飯、目当ての店に行ってみると閉店していた(涙)

中国の食べログアプリ・大众点评をしょっちゅう使っているのだが、閉店したり長期休業している店も平気で載せていて、そのへんカバーしてくれないのが短所。

中国の店の移り変わりは大変早く、倒産閉店したようなお店がけっこう多い。この旅行中もなんどか、店に行ってみると無かったなんてことがあった。

 

しょうがないので、気を取り直して近くのチェーンのピザ店「city 1+1(城市比萨)」というお店へ。長春で人気のお店のようで、たくさん支店があり、どこも大众点评の評価がべらぼうに良いので行ってみた。

生地が分厚くふわふわで、確かになかなかうまかった。

2人でピザ二枚とコーラ2杯ずつ飲んで112元についたので、結構高かった。

 

 

満州国皇帝が住んだところへ

そのあと偽満皇宮博物院(伪满皇宫博物院)へ行く。

16:10チケット販売終了のところ、16:00に到着というギリギリ具合。

 

↑門など至るところに満州国の国章(皇室の紋章)が。蘭の花らしい。

 

つか、チケット1人80元て、めちゃめちゃとるなぁ。

そして、時間がギリギリ過ぎて、イヤホンガイド(日本語あり)は借りられなかった…。

↑入口の案内図。この博物館の看板はほぼすべて日本語での解説がある。

 

一応案内図に沿って、まずは馬術訓練場みたいなところから回る。が、外は暑いし、うん、馬がいるねぇ、ってだけだった。

←ね、馬がいるよね。

←車庫。たくさん車持ってたようだ。

 

そのあと溥儀が仕事してたとこ、会議してたとこ、天皇即位を発表した広間、妃が生活してたとこなど見ていく。

 ←勤民楼。皇宮の主な建築物のひとつ。政務処理、式典挙行、来賓接待、宴会、祭祀に使われた。

 

←広間。式典が行われた場所。

 

ある建物内では、満州国の経営に関わった中国人たちを、売国奴みたいな感じで名前と写真を一覧にしてる部屋があって、吊るし上げみたいな感じだった。

 

 

溥儀の波乱万丈すぎる一生

「皇帝から公民へ」と題して、溥儀の一生の展覧会を行っていた。分かりやすく、展示物も豊富で興味深かった。

↑展覧会の前書き。「改造」という言葉がすごい。

簡単に言うと、溥儀は紫禁城で生まれ、日本の手先として憎まれながら満州で暮らし、戦後は北京の刑務所に入れられて、「教育、改造」を経たのち一般人としての生活を与えられ、再婚もして普通の市民として働き、最後は家族に囲まれながら亡くなったそうだ。

 

人生のいろんな場面ごとに人形が出てくる。

 ←幼くして清朝皇帝に即位したが、後ろの龍の紋章にはヒビが…。

←日本軍や日本人と仲良くする図。

←戦後は戦犯として囚われる。←戦後は一般公民に。これは何か投票しているところ。

この蝋人形展示のおかげで、溥儀を一人の人間としてリアルに感じることができた。晩年は一般市民として働き再婚もして、平凡な幸せをつかんだ、という感じで書かれていた。

 

 

皇宮には防空壕や神社跡も

この皇宮の敷地内にはプールもあった。人前であまり姿を露わにしては行けない天皇だけに、プールを設置したのは中国史上初のことだったらしい。まぁ結局溥儀は入ったことなくて、人が入るのを見てただけらしい。

←このプールけっこう深い。

 

また、防空壕もあった。地下に行くとひんやり涼しい。

↑地下に降りると鉄の、めちゃ頑丈な扉がついた部屋がいくつかある。実際に溥儀は空襲の際、家族を連れてここに籠ったらしい。

 

皇宮の庭には神社の跡が残されていた。

溥儀が日本に来た時、天照大神を信仰するよう日本から言われ、建てたものらしい。しかし、戦争のゴタゴタで焼けてしまったようで、今は基礎だけが残っていた。

↑これが神社の基礎。「建国神廟」の遺跡、と立札がされていた。

 

そのあと、隣にある東北陥落史博物館へ。こちらは入場無料…だが、5時で閉館とのことですでに閉まりかけで見れなかった…。ガーン!日本にかなり関わりのある歴史館だし、見たかったのだが残念だった。

 

 

長春で感じる日本

午後5時を過ぎても、まだまだ外は明るい。これから市内の満州国遺構を見に行こう。タクシーで「文化広場」へ。

この辺りには、未だたくさん満州国時代の建物が残っているらしい。文化広場から歩いて南下しながらそれを見て行こうと。今はだいたい吉林大学の建物になっているそうだ。敷地内には入れない(ような雰囲気)。

 

↑「偽満州国八大部」のうちいくつか。満州国時代、国家機関の建物だった。

旧満州時代の建物は、敷地内にだいたい松があるし、屋根に瓦が使われて特徴的なので、見たらすぐに分かる。

 

「文化広場」から南下して、道の両側にあるいくつかの建物を見たら、またタクシー乗って今度は「人民広場」へ。

ここには、今は中国人民銀行になっている、元満州銀行の建物がある。

←神殿のようで立派だった。

 

そこから15分くらい歩いて北上する。すると、今は共産党の吉林委員会になっている、元関東軍司令部が。中国の街を歩いていると、天守閣が突如現れるという衝撃。ここだけ、めちゃめちゃ日本だった。なぜ、これを引き続き使うんだろう。

↑今は共産党の基地なのであまり近くから写真を撮ると危ない、とブログで読んでいたのでビビッてかなり遠くからパチリ。

 

 

広場で再び中国を感じる

再度、「文化広場」に戻る。ここは巨大な広場で、夜はお祭りかのように人が集まり、集団ダンスやバドミントンや散歩を楽しんでいた。

昼も夜も凧がとんでいた。

  

 

午後8時。やっと日も暮れたので、夕飯を食べに「大唐時代(大唐时代」という韓国風焼肉店へ。中華料理あんまり食べてないな(笑)

大連で行った日本式焼肉よりはうまかった。

 

お肉は店員さんが焼いてくれる。

付け合わせにニンニクを出してくれるのだが、焼きたいってゆったらそんなの見たことないって言われた…ニンニクを生のスライスで食べるのはちょっとなぁ…。

ここ、まぁまぁうまかったが、日本で食べる焼肉の方がやっぱりうまい。

しかしビールも大瓶三本くらい飲んで、二人で220元(日本円で4000円いかない)だから安い。

 

ホテルまでタクシーで戻り、近くのスーパーで水、夜食にあんず、ヨーグルトを購入。全部で10元。

あんずは酸っぱかった。ヨーグルトは普通に日本のと味あまり変わらない。

就寝。

 

明日はハルピンだー!

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